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ドキッとしたこと [所長の部屋]

突然ですが、鴻上尚史さんという作家・演出家がいます。
長いこと、わたくしにとっては特に好きとか興味があるとかではなく、有名だから名前は知っているけど作品はよく知らないという存在だったんですが、先日読んだ『不死身の特攻兵』という本がすごく面白くて、ああ、こういう作品を書く人だったんだ、と思いました。

で、その鴻上尚史さんが人生相談をしているウェブサイトがあって、これがまたなかなか良いのですが、その最新の回(→クリックするとリンクが開きます)を読んでドキッとしました。

相談の内容を要約すると、相談者AさんにはBさんという友達がいて、Bさんは家庭環境にも恵まれず、つらいことが多かった。AさんはいつもそんなBさんの話を聞いてあげて、アドバイスをしてあげて、親身に寄り添ってきた。なのに最近Bさんから絶交を言い渡された。なんででしょう。というような感じ。

で、鴻上尚史さんは、その答えのなかで自分がイギリスに留学した時の体験をひいて『無意識の優越感』について触れています。例えば、道に迷っている目の不自由な人に「どうしました?」と話しかける時、僕には無意識の優越感がなかったのか、と。

われわれは『支援者』とか称されていて、障害のある当事者を『支援する』ことで給料をもらっています。そういうわれわれにとっても、この『無意識の優越感』というのは非常に恐ろしいことです。『支援する』という行為(というものが定義可能だと仮定して)は、おせっかいな友人以上に『無意識の優越感』に陥りやすいのだと思います。

学生の実習とか、体験学習とか、そういう機会に“この仕事の難しさや苦労はどんなことですか”という質問を受けることがあります。苦労や難しさなんて枚挙にいとまがないんですが、いちばん苦しいのは『支援者』である自分のなかにも障害者に対する偏見がある、ということに気づかされる、ということです。そのことを、この『無意識の優越感』という言葉は鋭く指摘しています。

当たり前のことですが、われわれ『支援者』は、『支援者』という肩書を手に入れたからといって自分の偏見や差別意識や優越感を自動的に削除できているわけではないのです。むしろ、『支援者』という肩書があるからこそ、自分のメモリのなかにそういう有害なファイルが入り込んでいないか、いつも点検しなければいけないのだと思います。

って、これ書いてよかったのかな。




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