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バリアフリーってなんじゃらホイ [所長の部屋]

突然ですが、生まれて初めて『能』を観に行くことになりました。

横浜能楽堂で3月21日に開催される『バリアフリー能』、演目は狂言「神鳴」と能「鉄輪」です。

この催しに向けたスタッフ向けの研修に講師として読んでいただいたご縁。生まれて初めての能舞台、楽しみです。

研修の対象は能楽堂のスタッフのみなさんで、依頼内容は知的障害者の特性と接遇のポイントみたいな感じ。正直言ってこういう内容の研修会では聞きに来てくださった方々の期待と自分がお話しする内容にギャップがあることがあらかじめわかっているので、大変に難しいです。知的障害者の特性とか接遇のポイントとか、そんな風に包括的に語れることはなんにもありませんよ、というところから出発するので。コツみたいなものを聞ければと思っている人に『バリアとは個人ではなく社会に属するものである』ということをただの理念としてお話しても、“それは分かったけど、それで当日はどうすればいいの?”って思うのは当然のことですよね。そこらへんの期待にも答えつつ本質的なところに触れて考えていただく、っていうようなうまい構成ができればよいのですが、なんとも…。

バリアフリーってなんだろうな~

それはそれとして、生まれて初めての能舞台、楽しみです。

一緒に行く同業者が猛烈におしゃれしてきそうなのが心配ですが。

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福祉的視点? [所長の部屋]

突然ですが、電車の車内広告が好きです。

テレビを観ない(うちにテレビがない)私にとって、電車の車内広告は社会の窓です。

両開きのドアの上端部分の左右にスマホで海外ドラマ観放題!っていうインターネットTVの公告があって、その更に上の部分に『子供をスマホ漬けにしていませんか』っていう進学塾の広告があったりすると、ドラマを感じます。

なかでも注目しているのが、某学習塾の『̻□いアタマを〇くする』というシリーズ。

で、今日みかけたそのシリーズがちょっと気になりました。

点字ブロックの上に放置自転車があって視覚障害者が困るっていう問題について、『福祉的視点』に立って解決策を考えなさいっていう問題でした。

問題そのものは伊藤亜紗さんという方が書いた『目の見えない人は世界をどう見ているのか』という本の一部を引用していて、そこでは“問題解決のためには『福祉的視点』が重んじられがちだが、時に当事者は不自由さを一種のゲームに変換して楽しむことで乗り越えるというしたたかさを持っている”という状況が描かれています。

まあそれはそれとして、わたくしが気になったのは『福祉的視点』の語義がどれくらい認知されているのか、という点です。というか、福祉的視点ってどんな視点なのか、実は自分でもよくわからない(自分にとって福祉的視点とはこれであるということは言語化できなくもないけど、それは果たして任意の誰かが福祉的視点という言葉を用いたときにそこに込めている意味と等しいのかどうかには自信がない)ということを改めて感じたからです。

日頃なんとなくこうだよなと思っていることも、改めて考えてみると心もとなくなるということが結構ありますね。

もうひとつ気になった(というかちょっとショックだった)こと。

この問題に引用されていた上記の本、わたくし読んだことがあります。そして結構面白かった覚えがあります。にもかかわらず、この広告を見たときにこの文章がその本からの引用だということに全く気付かなかったのです。

小さい文字が見えにくくなってきたというのは認められても、読んだ本の中身を覚えていられなくなってきたということは認めたくありません。


ちなみに、わたくしが考える『福祉的視点』とは、いろんな人がみんなそれぞれ笑って生きられるためにはどうすればよいか、というものの見方です。『いろんな人』とは言い換えればすべての人であって、『福祉的視点』なんていらね~だろ!という意見の持ち主も含めて、です。

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共生型サービス? [所長の部屋]

現在、厚労省が『共生型サービス』なるサービス体系を構想しています。

いろいろと資料が出ていて(例えばこちら←クリックするとリンクが開きます)、読むとふむふむと思う部分もあるのですが、全体としてピンときません。

長い間障害福祉サービスを利用してきた人が65歳を過ぎても使い慣れたサービスを使い続けて行けるために、いろいろと知恵を絞っているようです。

でも、これって要するに介護保険優先の原則をやめれば済む話なんではないかと思います。

まあ、『だから全部介護保険に統合しちまおう』的な乱暴な話に(とりあえずのところは)なっていないだけましなのかもしれませんが。

それより今夜の雪が気になります。

『我が事・まるごと地域共生社会』っていう言葉のセンス(のなさ)も気になりますが。

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先入観 [所長の部屋]

突然ですが、辞書が好きです。
特に三省堂の新明解国語辞典が大好きです。
新明解は言葉への思い入れが痛烈で、たとえば『読書』を牽くと“想いを浮世の外に馳せ精神を未知の世界に遊ばせたり人生観を確固不動のものたらしめたりするために時間の束縛を受けることなく本を読むこと”とあり、念を入れるように括弧書きで(寝転がって漫画本を見たり電車の中で週刊誌を読んだりすることは勝義の読書には含まれない)と続いています。

なぜ突然辞書の話かというと、日本語辞書の代名詞ともいえる広辞苑の改定があったという話題を耳にしたからです。そのなかで、『肌色』という言葉についての説明が変わった、と。

肌色ってまあこんな感じの色、というのは皆さんそこそこ共通してあるのだろうけど、果たして実際の人の肌の色がみんなそんな感じの色かって言ったら違うよね、だから最近この言葉は色の名称としては使いませんよ、ということのようです。

当を得た話だと思います。個人的にもわたくしは自分が色盲だものでちっちゃいときから肌色ったってわかんねーよと思っていたので、なんとなくすっきりという感じ。

なんでこの話をブログに書くのかというと、これってつまり『なんとなく自明のことであるかのように感じるけど、実はその根拠となっているのはただの先入観に過ぎない』という事象で、そのことに気づかされる場面がこないだ自分にもあったからです。

横浜能楽堂というところがあって、毎年『バリアフリー能』という催しがあるのですが、そこの職員さんを対象にした障害理解および能の舞台鑑賞における知的障害者に必要な配慮を学ぶっていう研修会の講師を申しつかっていて、その打ち合わせでのこと。

『能』という芸術表現があって、その面白さや素晴らしさが知的なハンディがある人たちにどうやったら伝わるだろうかっていうのがお題だったのですが、どうもうまいことまとまらない。

いろいろ考えているうちにふと気づいた。よくよく考えてみればそもそも能が面白いとか素晴らしいとかっていうのは別に自明のことではないよね。能が面白いか、素晴らしいかっていうのはそれを観た人の心の動きにかかっているのに、あたかもそれが了解済みの事項であるかのように考えてそこを出発点にしてたからうまくまとまらなかったんだな。

そうなると、どう伝えるのかとかいうテクニカルな話よりも『どういう環境設定や配慮があったらその場を楽しむことができるのか』なのだろうな、と思いました。

で、そう思って改めてバリアフリー能のあらましをうかがってみたら、面白ければ笑っていいし怖かったら泣いていいしつまんなかったら出て行ってもいいのだと。

じゃあ、別にないんじゃないかな、改めて必要な配慮なんて。

さすがに『別にありません』では研修にならないので、いろいろとお話はするのだろうと思いますが、どうも筋や答えがはっきりしない、しゃべる側も聴く側もスッキリしない研修になりそうです。でも、実はアート領域の人ってこういう出口のない禅問答には意外と親和性があって、障害児者支援の適性が高いのではないかと思ったりもします。むしろ『福祉系』の人のほうが筋や答えを欲し過ぎるきらいがあるような…


ちなみに色の名前にまつわる個人的な疑問はほかにもいろいろあります。茶色がお茶の色なら紅茶とか緑茶ってどういうことなんだ、とか。そもそも赤と緑がわからない人に対して『それって赤に見えてるの?それとも緑に見えてるの?』っていうのが自家撞着だって気付いてほしいですね。

それはそれとして、しもごうまつりの準備は着々と進んでいます。
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読書読書読書 [所長の部屋]

インターネットって便利だな~と思うのです。

何がかと言うと、本屋さんには売ってなくて取り寄せしてもらわないと手に入らないような本がポチっとするだけで届くのが、です。

本を読むっていうのはすごく大切だと思います。
鵜呑みにしてしまうのはよろしくないと思いますが。

しもごうにも本はいろいろ置いてあります。
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おすすめはなんと言っても中央の水玉模様の本。

大事なことがいっぱい書いてあります。

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続;包括ケアってなんだ? [所長の部屋]

いよいよ12月に入りました。今日は寒いです。

先日のブログに書いた包括ケア説明会の件、区役所のお世話になっている係長にお尋ねしたらご丁寧に資料を送ってくださいました。

中身を見たら、視野に入ってるのは完全に高齢者のみ。いろいろ調子のいいことが書いてありますが、要するに社会保障費(介護保険費)の圧縮と公的責任の後退ということなんだろうな、と思います。計画素案の表紙に『避けられない超高齢社会』とか書いてあって、これ平均寿命を超えて長生きしておられる方がご覧になったらどんな風に感じるんでしょうか。

ていうか、対象を高齢者に限定した包括的なケアっていうのは本当に包括的なんでしょうかね。

かと言って『我が事丸ごと』とか意味の分からないごちゃまぜの丸投げみたいなアイデアっていうのもそれはそれで勘弁してほしいのですが。

直前の記事の再掲ですが、『大きく分けると、生活基盤を支える所得保障、医療、介護、障害者福祉、教育、保育などは基本的に国や自治体の責任でしっかり行うべきもので、そこが不十分だと問題は解決しません。(略)税金で行う「公助」と社会保険による「共助」だけでできない部分を住民同士の「互助」で補うのであって、逆ではありません』であり、『まずは、行政責任による給付と公的制度によるサービスをきちんと確保する。それだけでは不十分な人的かかわりを中心に、福祉を充実させる「上乗せ」の取り組みとして総合的な相談支援体制や住民による活動を推進する。それには費用もかかる。そのように考え方を整理すべきだと思います』です。

コミュニティを歳出削減の道具に使ってはいけません。


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包括ケアってなんだ? [所長の部屋]

すっかりご無沙汰してしまいましたが、しもごうは毎日ボチボチやっております。

突然ですが、出勤したらとりあえずメールを確認して、グーグルのニュースサイトに『障害者』と入力して検索することにしています。だいたいヒットするのは虐待がらみ、もしくは補助金の不正受給などのろくでもないニュースです。次に『福祉』と入力して検索します。だいたいヒットするのは東北福祉大の野球部がどうしたとかそういう関係のないニュースです。

でも、時には学びになるニュースやコラムに出会うことがあって、つい最近そういう“当たり”がありました。読売新聞が運営する医療・福祉系ニュースのポータルサイト『ヨミドクター』のなかの『原記者の「医療・福祉のツボ」』というシリーズ、最新記事のタイトルが『「地域共生社会」を考える(上) 公的責任を後退させるな』。

我が事・丸ごととかいう意味不明なキャッチコピーの中身と、それにまつわる問題点についてコンパクトながら要点を押さえた論考になっています。日本において地域福祉という概念がその導入から社会保障費の抑制とセットになっていたことについてはもう少し触れてほしかったところですが、『大きく分けると、生活基盤を支える所得保障、医療、介護、障害者福祉、教育、保育などは基本的に国や自治体の責任でしっかり行うべきもので、そこが不十分だと問題は解決しません。(略)税金で行う「公助」と社会保険による「共助」だけでできない部分を住民同士の「互助」で補うのであって、逆ではありません』とか、『まずは、行政責任による給付と公的制度によるサービスをきちんと確保する。それだけでは不十分な人的かかわりを中心に、福祉を充実させる「上乗せ」の取り組みとして総合的な相談支援体制や住民による活動を推進する。それには費用もかかる。そのように考え方を整理すべきだと思います』とか、まさにその通り。(下)が楽しみです。

この『原記者の「医療・福祉のツボ」』というシリーズはとってもよくて、生活保護についての連載の中でも非常に的確で公正な論述を読むことが出来ます。

などとお前は何様だよ的な駄文ををつづっているのはなぜか。事務室のカレンダーの今日の日付に汚い字で『包括ケア説明会/区役所10:30』て書いてあるのにお昼過ぎに気付いたんです。あきらかにわたくしの字ですが、なぜこれを書いたのか。書いたということは行く必要があるあるいは行くことに意義があると考えたのだと考えられますが、いつなんで書いたんだかどうしても思い出せません。

誰か行った人いたら内容教えてくださ~い。
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続・異文化 [所長の部屋]

というわけで、こないだの続き。

まず、前提として、われわれは差別や選別を否定します。これは我々にとって絶対に譲れない価値/規範であるし、そもそも社会全体にとってもっとも基礎的な価値/規範だと思います。

そのうえで、なんで社労士さんにとってはすごい大事なことについて自分が社労士さんほど大事に思えないっていうのがすごい怖いのかっていう話です。

あなたにとってはものすごく大事なことかもしれないけれど、自分の価値に照らせばそれより大事なことがあるんですよ、とわたくしは思ったわけですが。

でももしかしたら社労士さんは“われわれは望まざる長時間労働を否定します。これは我々にとって絶対に譲れない価値/規範であるし、そもそも社会全体にとってもっとも基礎的な価値/規範だと思います”って言うかもしれません。

それに対してわたくしが“あなたにとってはものすごく大事なことかもしれないけれど、自分の価値に照らせばそれより大事なことがあるんですよ”と思ったということは、わたくしが“われわれは差別や選別を否定します。これは我々にとって絶対に譲れない価値/規範であるし、そもそも社会全体にとってもっとも基礎的な価値/規範だと思います”と言ったときに、もしかしたら誰かに『あなたにとってはものすごく大事なことかもしれないけれど、自分の価値に照らせばそれより大事なことがあるんですよ』って言われちゃうかもしれないってことですよね。

自分にとっては当たり前のことが誰かにとっては当たり前ではないかもしれない、というのは考えてみれば当たり前の話です。ですが、上記のように考えるとちょっと怖い話でもあります。差別はダメっていうのが、実は社会全体のコンセンサスを得られていないのかもな、ってことですから。

でもでも、やっぱりわたくしは差別はダメっていうのは社会の基礎的な規範であると思うし、そうあるべきだと思います。


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異文化 [所長の部屋]

寒いです。しかも週末は台風とか。しもごうのメンバーもスタッフも鼻声がちらほら。

先日、市社協障害者支援センターの監査がありました。監査っていうのは一種の異文化交流だと思っていて、井の中の蛙にならないためにはすごくありがたいだいじな場面です。

支援センターの監査担当職員さんのほかに税理士さんと社会保険労務士さんが来て下さるのですが、やはり、いわゆる士業の方はそれぞれに文化的バックボーンがあって、そういう方のお話を聞いていると自分たちの普段の業務を新しい視点から見ることができます。

熊本に行ったときの職務状況を『なぜこのような長時間労働になるのか』『実際に業務に従事していたことをどう証明するのか』『なぜこのような業務命令が下され得るのか』と質問されても、そんなこと考えたこともなかったな。できることをできるかぎりっていうのが障がい児者支援の文化だと思っていて、それを被災地支援に当てはめるとそういうことになるんだけど、『仕事=指揮命令系統の元で指揮命令によって遂行される』という労務の文化においては全くあり得ないことのようです。

労働法規っていうのは労務士さんにとってはとっても大切なもので、それにもとることなんてあってはならないっていうことなんですよね、きっと。でも、緊急とか突発とかが常にある障がい児者支援の世界では労働法規を金科玉条としていてはやっていけないことがある(かもしれない)。僕らは普段そのことにあんまり深刻な疑問を抱いていないのだけど、これって実はとても怖いことだと思います。

何がどう怖いのかっていうことについては、また今度書きたいと思います。

いや、でも、災害という状況の中での仕事について“ふつうこんな働き方はしない”って言われても…


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ライフステージ [所長の部屋]

秋らしい気候になってきました。見かけによらず夏が苦手な私としてはうれしいです。

先週の金曜日に、内部研修を行いました。今回のテーマは『計画相談について』、おとなり泉区の指定特定相談事業所きくみみの相談員さんを講師にお招きして、制度のこと、実際のケース、見立てやマネジメントのポイントなど、盛りだくさんの内容でした。
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学んだことはたくさんありますが、そのなかでもひとつ肝要な事柄だと感じたのが、当事者のライフステージを意識する視点が大切だということです。ライフステージなんていうと難しい感じがしちゃうけど、要するにオトナなんだからオトナなりの暮らし方を、ということだと思います。

そういった観点から注目すべきニュース(←クリックするとリンクが開きます)がありました。オトナなんだから事業所と自宅の往復で生活パターンが固まってるのって貧しいよね、ということで『第3の場』を確立しようという運動です。

仕事が終わったらまっすぐ帰宅するんじゃなくてジムに行ったりフットサルの練習に行ったり寄り道したり飲み会があったり、そういうのが成人期の暮らしの在り方でしょ、と。

これが単に日中活動の時間を延ばすとかになってしまうのではなく、ちゃんと『第3の場』を確立しようという動きにつながると良いな、と思います。

運動って、大事。



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